自然の息づかいを笑写するブログ

遠くの観光地に行かなくても、身近にある自然が、あなたが来るのを、今か今かと首をながーくして待っています。自然は 喜ばせごっこ、おもてなしごっこ そして不思議な世界で溢れています。自然の笑アップを写し込んでアートにしています。

坂本龍馬 北海道に新国を開くという積年の思い

photo遊楽

 坂本龍馬 北海道に新国を開くという積年の思い

 

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               日の出前の甲府盆地 フルーツ公園から

 

 

 

 11月15日は、坂本龍馬の生誕日であるとともに、この世を去った日でもありま

す。

天保6年(1835年)から、明治の前年である慶応3年(1867年)までの生涯で

した。満年齢で32歳。短いけれど、実に太い生き方をした、いわずとしれた幕末の英

雄です。

 

 

 「短い生涯」と言ったのは、もし、もう少し生きていたら、今の日本は変わっていた

のではないかと想像させるからです。

少なくとも北海道は、もっと別の発展をしたかもしれないと、そう思わせるからです。

 

 なぜ北海道は、なのか――。それは、龍馬が北海道の開拓を夢見て、行動を何度も起

こしていたからです。

 

 亡くなった年の3月に書いた手紙の一節を紹介しましょう。

 

 「小弟ハエゾ(蝦夷)に渡らんとせし頃より、新国を開き候ハ積年の思ひ一世の思ひ

出に候間、何卒一人でなりともやり付申べく……」

 

 ――私は蝦夷(北海道)に渡り、新しい国をつくることが積年の思いであり、たとえ

一人であってもやり遂げるつもりです。

 

 「新国」「積年の思ひ」「一人でなりとも」という言葉で分かるように、この手紙

は、北海道渡航、そして開拓への決意表明以外の何ものでもありません。

 

 

失職武士たちを開拓と防衛に当てる

 

 そもそも龍馬は、元治元年(1864年)には、京都・摂津の浪人を幕艦「黒龍丸」

に乗せて蝦夷地をめざそうとしましたが、諸事情で断念。その後も、「いろは丸」や

「大極丸」など、実際に船を購入したり、借りたりして、何としても北海道に渡ろうと

懸命な努力を重ねました。

 

 暗殺される5日前にも、手紙で「大極丸」について触れています。

 

 死の直前まで北の大地に憧れ、ついには見果てぬ夢となってしまったのです。

 

 こうまでして龍馬が北海道にこだわった理由の一つは、京都の過激浪士や大政奉還

職を失うであろう若い武士たちの暴発を防ぎ、その大切な命を守り、そのエネルギーを

北海道開拓と防衛に当たらせようというものでした。

 

 合理的で、しかも壮大な計画でした。明治になって始まった「屯田兵制度」の原型と

も言えるでしょう。

 

 結局、龍馬自身は、北海道の大地を踏みしめる悲願を果たすことはできませんでし

た。

 しかし、後に養子になった甥の坂本直が慶応4年(1868年)、五稜郭に置かれた

箱館裁判所の役人として赴任。箱館戦争にも従軍しました。

 

 その後、坂本直の弟・坂本直寛が龍馬の遺志を継いで一家で北海道に移住。現在も、

その子孫が北海道で暮らしています。

 

 直寛の孫・坂本直行は山岳画家として高名です。