自然の息づかいを笑写するブログ

遠くの観光地に行かなくても、身近にある自然が、あなたが来るのを、今か今かと首をながーくして待っています。自然は 喜ばせごっこ、おもてなしごっこ そして不思議な世界で溢れています。自然の笑アップを写し込んでアートにしています。

黒船、俺たちだって造れるだろう 黒船を造るのに、ちょうちん張り 

              フォト遊楽

             石の 強化書

          黒船、俺たちだって造れるだろう。 

 

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嘉永6185363日。ついに来てしまった。日本騒然。大ピンチです。 

欧米諸国が海外領土を拡大していった時代。アジアの諸国は植民地になっていきました。 そして、遂に、鎖国をしていた日本にもやってきたのです。

アメリカ合衆国海軍、ペルー提督率いる恐怖の黒船が。手漕ぎの船じゃない。まるで城が海の上を走っているよう。実力が違いすぎます。しかし、その黒船を見てこう思った日本人がいたのです。 

 

黒船、俺たちだって造れるだろう。

 

薩摩藩主 島津斉彬(なりあきら)

肥前佐賀藩主 鍋島閑叟(かんそう) 

伊予宇和島藩主 伊達宗城(むねなり) 

黒船を造ろう。そう思ったのはこの3人です。薩摩も佐賀も、洋学が盛んで、殖産興業が進んでいたので、蒸気船を造るのに、ほんの僅かながら下地がありました。問題は宇和島藩です。10万石の小藩で、予算もなければ洋学の施設や造船の設備など何もありませんでした。

  

それでも黒船を造ってみたい。そして、四国の片隅ある宇和島藩を大改造したい。そんなトノサマの夢から、黒舟造ろうプロジェクトが始まるのです。 

このプロジェクトの主役に抜擢されたのが、ちょうちん張りの職人、嘉蔵(かぞう)という若者でした。なんで、黒船を造るのに、ちょうちん張り?

当時の下級武士たちの多くは、傘張りの内職をしていました。ピンとした竹に紙を貼るだけでもかなり難しいのに、グニャグニャしたちょうちんに器用に紙を貼っていく嘉蔵。

 あいつは器用だから、なんとかしてくれるんじゃないか、という発想です。なんて無茶な発想でしょう。

最下級の町人で、名字を持つことも許されないこの嘉蔵が、黒舟造りに挑むのです。

まず、嘉蔵は黒船を見たことには話が始まらないと、長崎に勉強の旅に出ます。

 

はい、ここです。

 

この時点で、黒船造りを任されたリーダーが黒船を見たことすらなかったという点がかっこいいです。

宇和島藩では、嘉蔵を士分に取り立ててくれましたが、旅に同行した武士達が、嘉蔵を町人扱いにするものですから、長崎滞在は、嘉蔵にとって屈辱的なものでした。荷物持ちにされ、時間に遅れると食事を与えられないなど、不遇に甘んじたそうです。

  それでも、嘉蔵は悔しさ以上に、黒船を作るプロジェクトに、やりがいを見出していたのだと思います。嘉蔵は、めげなかったのです。そんな嘉蔵に味方も現れます。長崎営業所の役人、山本光次郎が、嘉蔵をバックアップしてくれるようになったのです。さらに、オランダ政府が日本との友好関係を深めるために、蒸気船を見学させてくれるなど、幸運にも恵まれました。

長崎から帰国した嘉蔵が蒸気船建造に本格的に着手したのは安政3年(1856年)正月のことです。嘉蔵は、藩士たちから横槍をいれられながらも、翌年の秋に、見事にを作り上げました。後は、「かま」を船体に乗せれば、蒸気船の完成です。出来上がった蒸気船が宇和島湾に浮かんだとき、藩主の伊達宗城(むねなり)は無邪気に喜びを表して、これで参勤交代をするんだといったそうです。

そしていよいよ海上運転が行われました。嘉蔵は狭い船室に入ったまま、釜炊きから操作までを1人でこなしました。でも、本当に動くのか、動かないのか、嘉蔵の鼓動は高まります。

小さな舟窓から天守閣が静かに後ろにさがっていくのがみえました。動いた。その実感を得た嘉蔵は何を思ったのでしょうか。しかし、残念ながら動き始めは早かったのですが、次第に蒸気の量が少なくなり、目に見えて速度が遅くなっていきました。

嘉蔵には船体に比べて「かま」が小さ過ぎるのだと分かっていましたが、大きさは藩が決めてしまっていたのですからしかたありません。それよりも、お前は器用だから、という理由だけで抜擢された嘉蔵が、独学で着工からわずか3年で黒船を作り出してしまったこと、本当にすごいことだと思うのです。 

江戸時代の日本は、200年以上も鎖国が続いていて、実は大型船を建造することすら禁止されていたのです。それが黒船を見て、自分たちでも造れると動きだして見事に作り上げた。この先人たちの好奇心とバイタリテー、そして途方もない夢を実現してしまうという技術力があったからこそ、アジアの国々のほとんどが植民地になる中で、日本は奇跡的に独立を保ったのでしょう。