自然の息づかいを笑写するブログ

遠くの観光地に行かなくても、身近にある自然が、あなたが来るのを、今か今かと首をながーくして待っています。自然は 喜ばせごっこ、おもてなしごっこ そして不思議な世界で溢れています。自然の笑アップを写し込んでアートにしています。

江戸娯楽文化 飛鳥山は将軍吉宗によって桜の名所に

 

 

江戸娯楽文化  飛鳥山は将軍吉宗によって桜の名所に

 

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 江戸が百万都市として過密化していくにつれ、江戸っ子は身近に自然を失っていきました。そのため、自然との触れ合いを求め、江戸近郊の行楽地まで足を延ばすようになります。江戸っ子は芝居や寄席見物だけでなく、自然景観を味わう物見遊山という形でも余暇を楽しんでいました。

 

 春の行楽シーズンといえば、今も江戸時代も桜の花見を楽しむのがメーンでしょう。江戸には桜の名所が数多くありましたが、そのシンボルは、墨堤と呼ばれた隅田川の堤や王子の飛鳥山でした。

 

 花見の時期になると、これらの桜の名所に花見客が大挙押し寄せましたが、江戸時代のはじめから、そうだったわけではありません。八代将軍徳川吉宗の時代を境に、隅田川飛鳥山に花見客が押し寄せるようになるのです。

 

 あまり知られてはいませんが、吉宗は桜の植樹にたいへん熱心な将軍でした。身近に自然を失った江戸っ子のために、春に桜を楽しめる空間を江戸近郊にいくつも造っていったのです。では、飛鳥山が桜の名所となっていった様子をご紹介していきましょう。

 

 享保五(一七二〇)年九月、一万六五〇〇坪もの広さがあった飛鳥山に、桜の苗木二七〇本を植樹させています。江戸城内には、将軍用に造られた広大な吹上庭園がありましたが、その庭園で栽培していた苗木でした。翌六(一七二一)年九月には、さらに千本植樹させます。

 

 植樹された桜が根付き開花するようになった同十八(一七三三)年二月には、花見客に飲食を提供する茶屋の設置を命じます。花見をしながら飲食を楽しめる空間も作り出そうとしたわけです。花見客の立場に立った対応と言えますが、花見客の誘致にもつながったはずです。

 

 元文二(一七三七)年三月十一日、吉宗は家臣たちを連れ、自分が花見の名所として造り上げた飛鳥山で酒宴を催します。今で言うトップセールスでした。桜の名所・飛鳥山の宣伝に一役買ったわけです。

 

 将軍が飛鳥山で花見を楽しんだとなれば、江戸っ子も飛鳥山に出かけたくなるでしょう。それが吉宗の狙いでした。

 

 その後も、吉宗は桜の増植・補植などを通じて、桜の名所としての環境整備に力を入れます。吉宗の強力なバックアップにより、飛鳥山は桜の名所としての地位を確立し、江戸っ子の行楽地として発展していったのです。

 

今も春になると、飛鳥山は桜を楽しむ都民で賑わいます。