自然の息づかいを笑写するブログ

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江戸時代 人口はゆうに百万人 幕府が使った高級料理茶屋

江戸の高級料理店 幕府が使った高級料理茶屋

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 江戸時代は現在で言う外食産業が発展を遂げた時代ですが、その発展ぶりが最も顕著だったのが、世界最大の人口を誇っていた江戸です。人口はゆうに百万人を超えていましたが、男性の独身世帯が多かったのが特徴です。現在ほど自炊の環境が整っていない以上、当然ながら外食に依存することになります。

 

 こうした背景もあって、江戸の外食産業が発展していくのですが、これまでご紹介してきた蕎麦、寿司などのファストフードは屋台で売られることも多い食べ物でした。一方、「料理茶屋」と呼ばれる高級な料理店も増えていきます。今回は、そんな江戸の高級料理店を見ていくことにしましょう。

 

 高級料理店が登場してくるのは、一七〇〇年代の中頃です。暴れん坊将軍こと徳川吉宗の治世が終わった頃ですが、浅草の「八百善」、深川の「平清」、日本橋浮世小路の「百川」などが当時の代表的な料理茶屋です。

 

 料理だけでなく、店の構えも豪華でした。座敷や庭の造作も売り物にしていたのです。

 では、「八百善」から見ていきましょう。最初は仕出しを専門とする料理屋でしたが、やがて座敷で客を取る料理屋となります。屋号は、店主の名前が八百屋善四郎であることから名付けられました。

 

 「八百善」には、一両二分の茶漬というエピソードが伝えられています。現在で言えば、茶漬1杯の値段が三十万円ぐらいしたと言うのです。なぜ、そんなに高かったのでしょう。

 米は新潟の上質米、香の物は瓜と茄子を混ぜたものでしたが、御飯にかけるお茶が問題でした。玉露が使われたのですが、玉露に合わせる水をわざわざ多摩川羽村まで取りに行かせたのです。往復で百㌔近くあります。そのため、一両二分という価格なのです。そして、食膳に出されるまで半日もかかったそうです。

 

 「八百善」は、将軍も訪れたほどの店でした。勝海舟も訪れています。また、開国を求めて来航したアメリカのペリー一行を幕府が饗応した時、料理を出したのが「八百善」でした。

 次に深川の「平清」ですが、その屋号は、店主の名前が平野屋清兵衛であることから名付けられました。

 

会席料理の最後に鯛の潮汁が出てくることで知られた店でしたが、潮汁とは新鮮な魚介類を用いた塩味の汁のことです。潮煮とも言いました。もともとは海水を使っていたことから、潮汁という名前が付けられたようです。「百川」は中国料理を日本化した卓袱料理を看板とする料理茶屋でした。

 

 こうした高級料理屋の数々は、まさに江戸の食文化の豊かさを物語っているのです。