自然の息づかいを笑写するブログ

遠くの観光地に行かなくても、身近にある自然が、あなたが来るのを、今か今かと首をながーくして待っています。自然は 喜ばせごっこ、おもてなしごっこ そして不思議な世界で溢れています。自然の笑アップを写し込んでアートにしています。

江戸っ子は、鉢植えの花を身近に置くことがささやかな楽しみに

 

長屋住まいの江戸っ子は、鉢植えの花を身近に置くことがささやかな楽しみになっていました。

鉢植えの花を見て日々の生活の癒やしとしたので、当時、観賞用植物の需要はたいへんなものでした。

 

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庶民だけでなく、広大な庭園を持つ将軍や大名まで愛好し、現代に相通じるような園芸ブームが巻き起こっていました。変わり種の朝顔などは高い人気を誇り、高値で取引されています。

 

 こうした園芸ブームを背景に、江戸近郊では植木や花卉の栽培が盛んでしたが、現在の東京・豊島区の巣鴨村や染井村などは観賞用植物の栽培センターとして知られていました。

 

幕末に日本を訪れたイギリスの園芸学者ロバート・フォーチュンは染井村の景観を見て、世界中のどこにも例のない規模の苗木園という感想を述べています。それだけ、自然と触れ合いたいという願望が江戸っ子の間では強かったわけです。

 

 そんな願望に目を付け、庶民向けに一般公開する庭園が江戸市中にも造られていくようになります。新たに行楽地が誕生したのです。大名庭園の流れを汲む小石川後楽園六義園と同じく、現在は都立庭園の一つとなっている向島百花園は、そうした江戸庶民の需要に応えて文化元(一八〇四)年に開園された庭園でした。

 

 隅田川の東に広がる墨田区向島に開園となった向島百花園には、梅の木三六〇本をはじめ様々な種類の植物が植えられました。

 

四季を通じて楽しめる工夫が施されたわけですが、多彩な草花が咲き乱れている庭園ということで「百花園」と名付けられたという説があります。

 

 梅が見所の庭園でもありましたが、花だけが江戸っ子を楽しませたのではありません。その実から作られた梅干も、百花園の名物として人気を博しました。こうして、江戸っ子の間で百花園の人気が高まっていきますが、ついには、その評判を聞きつけた将軍徳川家斉も訪れます。

 

今も百花園には、「御成座敷」と呼ばれた将軍専用に作られた座敷が残されています。