自然の息づかいを笑写するブログ

遠くの観光地に行かなくても、身近にある自然が、あなたが来るのを、今か今かと首をながーくして待っています。自然は 喜ばせごっこ、おもてなしごっこ そして不思議な世界で溢れています。自然の笑アップを写し込んでアートにしています。

天ぷらの歴史 天ぷらは、「天麩羅」という言葉が当てられることがある

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 天ぷらは、当時南蛮と呼ばれた西洋から伝えられた食べ物です。鉄砲などと同じく戦国時代にポルトガルから伝来しましたが、その語源はポルトガル語の「tempero」に由来します。調理するという意味です。

 

 天ぷらは、「天麩羅」という言葉が当てられることがあります。

 「天」(揚げること)「麩」(小麦粉)「羅」(薄衣)という意味を込めた当て字と言われます。

 江戸時代の初めに、上方で魚のすり身に衣を付けたものが「つけあげ」の名前で流行しました。

 

 そんな流行の天ぷらを食べて体調を崩し、そのまま七十三年の生涯を終えた人物がいます。徳川家康です。ちなみに、家康が食べたのは鯛の天ぷらでした。

 

 家康の命を奪った魚の揚げ物が江戸で売られるようになったのは、それから五十年ほど経過してからのことですが、既に野菜の揚げ物は登場しています。胡麻油が使われたため「胡麻揚げ」と呼ばれたそうです。

 

 野菜の揚げ物には精進揚げという呼び方もありますが、上方から伝えられた魚や肉の揚げ物については、江戸では天ぷらという名前で呼ばれるようになります。

 ただし、野菜の揚げ物の場合も天ぷらと呼ぶ場合もあるようですから、はっきり区別されていたかどうかはよく分かりません。

 

 天ぷらは、店舗というよりも屋台で売られました。油で揚げるため煙や匂いが出てしまうからです。火事になる危険性もあったでしょう。店舗で天ぷらを売る場合も、外に屋台を出して作ったようです。

 

 

 江戸では、穴子、芝海老、コハダ、貝柱、スルメイカなど江戸湾で捕れた魚介類を揚げたものを、串に刺した上で食べています。かけ蕎麦と同じように、立ちながら食べられるように串刺しの形が取られたわけです。衣は、うどん粉(小麦粉)を水で溶いたものが使われました。揚げ油は胡麻油が使われました。

 

 天ぷらの食べ方ですが、天つゆが入った鉢の中に串刺しの天ぷらを突っ込んで食べたようです。価格は四文ですから、握り寿司と同じぐらいの安価なものでした。

 

 江戸時代の終わりには、天ぷらも高級化路線が進みます。料理屋でも出されるようになりますが、天ぷら専門のような店が登場するのは明治に入ってからです。江戸の頃は、串に刺して外で立ち食いするというファストフードとしての顔を色濃く持った食べ物でした。