自然の息づかいを笑写するブログ

遠くの観光地に行かなくても、身近にある自然が、あなたが来るのを、今か今かと首をながーくして待っています。自然は 喜ばせごっこ、おもてなしごっこ そして不思議な世界で溢れています。自然の笑アップを写し込んでアートにしています。

歴史の山梨 6 大太郎伝説と 甲斐守護地としての石和宿『源平盛衰記』の話

 

 

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                          笛吹市 芦川村   

 

 

           『源平盛衰記』に次のような話があります。

 

 石橋山で破れた源頼朝一行は、伊豆の山中をさまよった後、船で安房へ脱出しようとした。しかし、激しい戦闘のため兜を捨てたりして、服装が乱れているため、すぐ落武者とわかってしまう、したがって、船を探すこともできず因っていたところ、甲斐の烏帽子商人の大太郎に出会った。

 

彼は、頼朝の求めに応じ、烏帽子をすぐに用意しただけでなく、自分の宿所に招き酒肴でもてなした。

 

 また、頼朝に左折の烏帽子を差し出したところ、代々の烏帽子であると喜び、自分が成功した際には名田百町、在家三宇を与えることを約束した。

 

平家滅亡後、頼朝は約束を守り、大太郎に甲斐国石和の地の名田と在百町、在家三宇を与えることを約束した。平家滅亡後、頼朝は約束を守り、大太郎に甲斐国石和の地の名田と在家を賜った。

 

 この話は、頼朝が成功するまでの苦心談の一つで、立身出世のパターンです。

 

したがって話自体にどれだけの歴史的事実があるか解りませんが、甲斐国の商人である大太郎が伊豆にまで行って商業活動していることや、石和に恩賞の地を与えられていることに興味があります。

 

 

            甲斐守護地としての石和宿

 

 商人大太郎が、石和に恩賞を与えられたことは、石和が彼の商業活動に便利であったからと考えることができます。

 石和は、笛吹川に沿った甲府盆地中央に位置し、国衛にも近く、甲斐守護武田信光の舘の所在地でもあった。市部、四日市場の地名も残り、定期的に市が開かれていたと考えられます。

 

また、深沢郷(現 勝沼町深沢)の領主である深沢有経が、石和に屋敷を所有していたことも知られており、石和の政治的、経済的重要性を示しています。

 

 このようなことから、当時まさに石和は甲斐国の政治・経済の中心地であり、「石和宿」として機能していたと思われます。平家討伐のための甲斐源氏が石和宿のある石和御厨に集結したのも、石和を押さえた信光が甲斐源氏を制したのも、石和宿の重要性を物語っています。 以後石和は甲斐守護所の所在地として、鎌倉街道の起点となっていきます。