自然の息づかいを笑写するブログ

遠くの観光地に行かなくても、身近にある自然が、あなたが来るのを、今か今かと首をながーくして待っています。自然は 喜ばせごっこ、おもてなしごっこ そして不思議な世界で溢れています。自然の笑アップを写し込んでアートにしています。

山梨の歴史 5 もう一人の与一 浅利与一義遠  

 

 

平家討伐に大功をたてた「源平の戦人」

 

          もう一人の与一   浅利与一義遠

 

 

 源平合戦屋島の戦いでの那須与-の話は有名です。おなじ与一でも強弓を射る与一というと浅利与一義遠です。彼は豊富村に大きな勢力を持っていたようです。

 

 『平家物語』によると、壇ノ浦の戦いは型通り矢合わせからはじまった。

平家側から義経の船に矢竹の失を射立てた者があった。この矢は一四束三伏あって、仁井紀四郎親清と書き付けてあった。

 

判官は家臣を呼んで「この矢を射返す者が、味方にいないか」といったところ「甲斐源氏に浅利与一殿こそ勢兵にてましまし侯へ」。「さらば呼べ」といって呼んだ。

 

浅利与一が出てきて、判官がいうには、「沖よりこの矢を射てきたが、射返せるか」。「矢を頂戴して拝見しましょう」といって、指先でひねってみて「これは矢竹が少し弱うございます。矢の丈も少し短めです、どうせ射返すなら義遠の弓矢でやってみましょう」といって、九尺ばかりある弓に漆塗り矢竹に黒ぼうの羽ではいだ矢で、自分の大きな手で握って一五束あるのをつがえて、しっかり引きしぼって射放す。

 

四町あまりを射わたして、平家の大船の船主に立っていた仁井紀四郎親清の胴のまん中を射て船底に射倒したとあります。甲斐源氏は遠征し活躍をしていたのです